続 “酷使”について考える (3:短期的観点から)【評価の難しい起用】
昨日の続きです
ある意味では最も評価が難しいのが短期的観点からの起用でしょう.
なぜなら必ずしも,理論と結果が一致するとは限らないからです.
理屈としては“酷使”について考える (2) ~“怪我”の手前にあるもの~で書いた通りです.
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仮に今村投手の完全な状態での力を100として,これに対して大島投手が80であったとしましょう.
通常時ならともかく,今村投手が疲労でパフォーマンスが低下して7割の力しか出せない状況になれば完調時の大島投手を下回ってしまいます.
もしそうなってしまえば,結局は継投の際に80の投手か70の投手を出すしか選択肢が無くなってしまうのです.
しかし,それほど重要ではないであろう場面で大島投手を使うようにして今村投手の酷使を抑えて,両投手が9割程度の力は出せるようにマネジメントをしたとすれば,同じ際に90の投手か72の投手を場面に応じて使えるようになるのです.
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一方で,このような予測は必ずしも確度の高いものにはなりえません.
例えば,個人的には今季の後半の今村投手の起用には反対していました.
上記の理由により,打ちこまれる確率が上昇するだろうという予測があったためです.
しかしながら,今季の今村投手は9月13日に1失点を喫して以来,閉幕までの11試合14回2/3を無失点で乗り越えます.
あるいはMLBでは,ヤンキースの黒田投手がワールドシリーズに置いて非常に短い登板間隔で先発をしました.
援護に恵まれず残念ながら敗戦投手にはなったものの,投球内容自体は悪くありませんでした.
正直なところ,短期的観点から見た場合の評価は,少なくとも現在のプロ野球のレベルでは,結果次第という側面も否めないというところです.
逆に言えば,投手起用の是非を語る際に短期的観点を用いると,短絡的な結果論になりかねないという側面があるとも捉えられるでしょうか.
因みに,上でも,あるいは昨日の記事の最後でも,「現在のプロ野球のレベルでは」という表現をしていますが,これは現在のプロ野球のレベルを貶める意図で使っているものではありません.
野球に限らずどんなスポーツ (あるいはプロリーグ) でも,創成期は選手同士のレベルの差が大きく,
技術や戦略が煮詰まってくるとその差が相対的に縮まってきます.
選手同士のレベルの差が大きいということは,即ち傑出した選手やチームが出やすいということです.
上記の例えで言えば,一流選手の完全な状態での力が100であるのに対し,2番手の投手が60程度しかない状態,あるいは敵チームに打ち込まれるのには50を下回らないといけないという状態であるとしましょう.
このような状況では,疲労などがあったとしても6割を下回ってやっと完調の2番手投手よりも悪い状態になり,また5割を切って初めて打ち込まれるようになります.
このような状態では,無理に選手を温存するよりも一部の選手に依存する方が有効な戦略となります.
過去にいわゆる大エースと呼ばれるような投手たちが快刀乱麻の活躍をした (出来た) 理由には,様々な環境の違いがあるにせよ,こういった背景も相応に大きかったと考えています.
翻って今のプロ野球では,昨日に書いた通り,中継ぎを中心に,投手を潰すことはシーズンを勝つために簡単には避け難い状態だとは思います.
ただ恐らくは,秀でた投手1人を擁するよりも,完調に近い投手を揃えることの方が効果的になってくると予測しています.(あるいはもう既にそうなっているかもしれません)
首脳陣‐球団の長期戦略で見た場合,この変化をいかにうまく掴むかという視点は必要かと思います.
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