コミッショナーと2004年球界再編問題
昨日の予告通りコミッショナーの話.
統一球の導入やWBCでの迷走ぶりなど,個人的には評価しがたい加藤コミッショナー.
特に統一球に関しては,(統一自体は問題ないと思っていますが) 極端な得点力低下に対して対応する姿勢が見えないことに不満を募らせています.
半年ほど前の記事ですが,
加藤コミッショナー 統一球「飛ばないという認識ない 選手はプライドを」
という辺りもあり,個人的には何かを変えようという姿勢が見えてきません.
良くも悪くも強行的なところがあるのでしょう.
(セで再任に反対した人が少ないことを考えると,あるいは球団側から見ると動かしやすく風よけにしやすいところがあるのかもしれませんが)
これを見ていて思い出したのが,2004年の球界再編問題の際のコミッショナーの対応に関しての意見です.
当時は根來前コミッショナーが表立つことは少なく,オーナー側に阿るように行動しているように目に映りました.
この頃,「コミッショナーが権限を持って強行的に行動をしなければならない」といった意見をしばしば耳にしました.
当時は私もそれに賛同しており,オーナーたちに加え根来コミッショナーに対しても怒りを覚えていました.
そんな中でハッとさせられた意見が 「コミッショナーに対して権限に基づく強行的な行動を望む人たちは,そのコミッショナーの意見が自分自身の意見を一緒であることを信じてしまっている人たちである.実際に強行的な行動をしたとして,それが自分の望むものでは無かったとしても,コミッショナーが決めたことだから仕方がないと受け入れられる人がいるのか?」というものでした.
そして現在の加藤コミッショナーの言動を見ていると,改めてあの時の意見はこういうことだったのかと痛感している次第です.
ある意味当然の思考なのかもしれませんが,窮地になればなるほど,誰か一人の優れた人物の行動により物事が好転する可能性にかけてしまいがちです.
しかし実際にはそんなに簡単に好転することは往々にして少ないでしょう.
これはまた昨日までのファイターズの話にも関連するのですが,
ファイターズの組織・監督人事のように,コミッショナーが代わるごとに対応や行動が代わるのではなく,個人の暴走を歯止めできる組織,あるいは適切なコミッショナーを選べるシステムなどを構築していく必要があるのだろうと思います.
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