飯尾の駄文日記

広島東洋カープ 時々 東北楽天ゴールデンイーグルス ところにより一時 中国生活

評価を改めるか解釈を変えるか

昨日の記事の続きになります.

昨日の記事では,赤松選手と天谷選手を例に出して,その起用方を適切に評価するのは意外と難しいという話をしましたが,大事なのはその後に評価をどう改めるかということだと思います.

実際に赤松選手が使われるようになってそれほど打てないということが分かったわけですが,だからと言って「それまで赤松選手を右投手にあまり使わなかったのは実は正しかった」と評価を改めていたような意見を目に耳にした記憶はほとんどありません.

それだけならまだしも,「野村監督が赤松選手を試合に使わなかったから調子を崩した」というように野村監督批判という立ち位置は崩さずに解釈を変えている場合も見受けられます.

要するに,「○○という采配が問題である→だから野村監督は駄目」という論法が積み重なるうちに,「野村監督は駄目→○○という采配は問題であったに違いない」なり,その検証はされずに評価の因果関係が逆転してしまうということです.
“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”といった状態ですね.


こういった例は何も野村監督に限った話では無く,ブラウン監督時代にも小窪選手や前田選手で同様のことが言われた場合もあります.
前田選手の場合は,「前田選手がいれば勝てる→前田選手と監督と仲が悪いから試合に出てこない→監督が悪い」みたいな論法も使われましたからね.
(この考え自体,「前田選手は監督が嫌いという個人的な理由で試合出場を拒否し,その結果チームに迷惑をかけても気にしない」ということを言っているわけでむしろ前田選手を貶めていると思いますが)
実際その翌年に小窪選手や前田選手があまり良い成績を残せなくても,それを批判していた人が「あの時試合に出さなかったのは仕方がない判断だった」と評価を改めていたという話もやはり聞いたことはありません.



私自身は野村監督を監督としては全くと言っていいほど評価していません.
しかしながらその采配・起用が全て悪いかと言えば少なくとも今現在の段階でそう断言することは出来ず,個々のケースは切り分けて論じなければなりません.

何より今現在のカープの惨状自体が,“結局4年間でAクラスになれなかった”という言葉を盾に“ブラウン憎けりゃ,その全てが憎い”という考えの下,彼の政権時の何が良くて何が悪かったのか,何処は引き継ぐことができて何処は引き継げないのか,また引き継ぐべきなのか,そういったことをきちんと論証しなかったことに端を発する,
少なくとも自分はそう捉えています.

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