STAP細胞と魔女狩りと
博士論文剽窃問題は他大学には飛び火せず
今のところ,と言う注釈付きにはなりますが,思いのほかD論剽窃問題が他大学に飛び火していないことを嬉しくも思っています.
疑惑の出始めから既に1月以上経ていますし,少なくとも有名大学*1のD論に関しては確認している人も一定数はいると思います*2.
正直なところ,数週間ほどたてば,研究室レベルで剽窃が常態化しているようなところが出てくる可能性も考えていました.
それでも,まだあからさまなコピペを発見したとの報は耳にしていません.
まだ早計ではありますが,少なくとも「Introをググっただけで剽窃元が出てくる」ようなことが横行しているのは,早稲田大くらい,ということは言えそうです.
それはそうとして,検証サイトのコメントを見ていたら,「魔女狩りか?」と評した方がいらっしゃいました.
小保方晴子のSTAP細胞論文の疑惑: 早稲田大学 西出宏之 研究室の博士論文のコピペ疑惑
おそらくこの方は「よってたかってつるしあげをしているように見える」ことを魔女狩りと称したのだと思われます *3.
ただ自分は,それとは別の意味で“STAP細胞の実在性”という問題に関して,魔女狩りとその後の歴史を想起しました.
魔女狩りにおける,“魔女である”証明
魔女狩りにおいては,自白が最大の証拠とされたと言われています.
信じがたいことだが、誰それが魔女だという噂が立てば、それだけで当時は有力な証拠として扱われた。また審問官は熱心に密告を推奨した。魔女である可能性を持つ人間がいるのに、それを黙認していることはそれだけで、間接的な異端とされた。密告や証言は、たとえそれが幼児、子供のものでも採用された。
イギリスのある魔女裁判では、6歳から9歳までの幼い子供たちの証言が、証拠として採用されていた。 こうして世間の噂、密告などによって逮捕された容疑者たちは、その後自白を迫られることになる。魔術を使った物的証拠をあげることはほとんどできないために、自白こそが魔女であることの最大の証拠として採用されたからである。
魔女狩り自体が起きた背景にはいろいろと説があるようですし,ここでは触れません.
ただいずれにしても,密告や自白などの“証言”が証拠とされ,嫌疑をかけられた“魔女”には“魔女ではない”という証拠を示す必要に迫られたということです.
要するに悪魔の証明が求められたと言えます.
魔女狩りの反省を経て“疑わしきは罰せず”へ
もちろん魔女狩りだけが原因ではありませんが,こういった数多の歴史の過ちを経て,現在の裁判では,自白などの証言よりも物的証拠を重視するようになっています.
また“疑わしきは罰せず”すなわち立証によって判断が行われ,悪魔の証明を求めないようになっています.
まさしく先日紙面を賑わせた袴田事件においては,自白の強要があったことが指摘され,それが強く批判されています.
この事実は,まだ証言が証拠とされていることを示すとともに,そうではない方向に進んでいるという証左でもあります.
科学の世界では何かを主張するためには“立証責任”がある
科学の世界でも,何かを主張するためには“有ること”を証明する必要があります.
いわゆる“立証責任”というものです.
仮にこれを求めないと,科学の世界では“言ったもの勝ち”になってしまいます.
そういう世界が幸せなものだとは,自分にはとても思えません.
「STAP細胞がないとは言い切れない」という主張の無意味さ
STAP細胞が有用なので*4,その有無が重要であるという視点はわからないでもありません*5.
では仮にこれを魔女狩りの際の審判にと置き換えてみたらどうでしょうか?
「○○は魔女だ.これがその証拠の写真だ」として示された証拠が悉く捏造,あるいは出所のわからないものだったのです.
現状,小保方氏は「STAP細胞は存在している」との主張をされていますが,その証拠もかの方の証言のみであり,物的証拠はありません*6.
つまり,「証拠はないけれど,○○はやっぱり魔女なんだ」と言い張っている状態です.
「STAP細胞がないとは言い切れない」という擁護論を展開されている方は,
「魔女ではないと言いきれないから処刑しろ」と言っているのと変わらないことをよくご理解下さい.
もしこの例を理解された上でなお主張されるのであれば,その感覚は200年遅れていると言わざるを得ないと思います*7.